やたいち日記 |
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『蔵の歴史』
1845年、弘化2年創業 澤口家の初代・澤口清治郎は、仙台・河原町で「泉屋」と云う屋号で 山形から紅や呉服反物などを扱う問屋に生まれました 商人向きではなく、遊び人だった清治郎を息子・安治と共に 当時米の積出港として栄えていた石巻へ別家に出しました その後、本家「泉屋」より分けてもらった財産を元手に海産物問屋と穀物問屋を始めました 若くして他界した父に代わり事業を継いだ二代目・安治は商才に優れ事業を拡大していきました 海産物問屋としては、三陸漁業権の七割を確保した程でだったそうです 本場静岡焼津より職人を呼び寄せて、石巻では初めて鰹節を製造したり ラッコ船にまで手を広げていきました 当時、蔵のある地域には水の神様を祭る墨廼江神社があり その地名墨廼江を、そのまま酒名にして酒造りを行っていた井上家という商家がありました 初代・清治郎の代より井上家に酒米を納入していた縁もあって 1845年弘化二年澤口家が造り酒屋を譲り受けました 当時は酒造りの方はあくまでも副業的な存在で事業の柱は海産物問屋、穀物問屋でした その後三代目・清治郎の時代になり、昭和3年に大津波が三陸海岸を襲い 本業の問屋業が壊滅的な被害を受け、その後酒造りが本業になったそうです その後四代目・安五郎、五代目・安右衛門と酒造り一筋に専念し 現社長・康 紀が平成11年10月に六代目に就任し現在に至っています 『現社長・康紀氏が見つめる酒造り』 社会人になるまで酒蔵を継ぐことなど考えなかった澤口社長は 武蔵大経済学部を卒業後、東京の洋服店に勤め、サラリーマン生活をしていました ところが父親の前社長が体調をくずし 親のたっての希望から、家業の墨廼江酒造に入社することになりました 酒造りに関心もなく育った澤口社長は、自らの酒造りの勉強のため 入社してすぐ滝野川にあった国税局醸造試験所に研修に行きました そこでは全国から集まる、蔵内最高の鑑評会用の出品酒を思う存分飲むことができ 初めて出品酒の持つ本物の酒のすごさを身をもって経験したそうです その後、会社に戻った澤口社長は、卸部門を切り捨て、桶売りを止め、大きなタンクを廃棄し 量より質の転換を目指して大リストラを断行したそうです そして今までの努力が実り、宮城を代表する酒蔵となりました 酒造りは、酒が好きでなければいけません 道楽と仕事が混在しているのが酒造りです 年ごとに、米の出来具合、気候や気温、水の温度など 酒の味わいに直接影響する要素が違います 酒造りは毎年が1年生です と語る社長は、「お客様と品質を大切に」を信条に 「綺麗」「品格」「飲み飽きない酒」を消費者の方々へ提供していきたいと頑張っておられます 『墨廼江 純米吟醸 八反錦』 辛口酒にありがちな渋みも無く 穏やか香りに柔らかな味わい 爽やかにきりりと冷やして
by yataiti1gou
| 2011-04-21 00:16
| 日本酒
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