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やたいち日記


食材日記です
by yataiti1gou
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生海苔 『スサビノリ』

秋も深まり肌寒くなる今頃から春先にかけてが旬の海苔。

北海道から九州まで広く養殖されていますが、

主な産地は兵庫県の播磨灘、淡路島海域、佐賀は有明海です。

かつては江戸前(東京湾)が主産地でしたが、

現在では、埋め立てなどの理由によりそのほとんどがなくなってしまいました。

大半の産地では乾燥した板海苔に加工されますが、

宮城などのごく一部で、乾燥させてない一番づみの生の海苔が出荷されています。

この生海苔をちょいと箸にからませてするりとやれば、

そこに海があるかのように、磯の香りが口いっぱいに広がります。

冷酒でキリリとやるもよし。

お燗でちびちびやるもまたよし。

生海苔 『スサビノリ』_d0176160_391125.jpg


『板海苔が出来るまで』

板海苔は、江戸時代の庶民に親しまれていた※浅草紙の製法にヒントを得て考案されたそうです。

※浅草紙とは、山谷辺りで多く製造されていた鼻紙や便所紙などに使われる下等な紙。

作り方は、紙を抄くのとほぼ同じ作りかたです。

先ずは摘み取った海苔を細かく刻みます。

つぎに、真水を張った抄き桶の中で溶いてから、

簾(海苔簾・のりす)に19cm×21cmの枠(海苔枠)をのせ、

その中に真水に溶かした海苔を流しいれ、天日で干して出来上がりです。

昔は厳寒期にすべて手作業ですし、

海苔簾(のりす)に均一に海苔を広げるのは熟練を要する職人技。

海苔作りはたいへんな重労働だったようですが、

今ではその製造工程のほとんどは、機械化されています。

江戸時代の当時は、江戸以外での海苔養殖が禁止されおり、

それが解禁になったのは意外にも明治時代になってからだそうです。

昭和20年ごろまでは、海苔を食べていたのは東京を中心とする関東地域に限られており、

関西をはじめ、各地方で海苔を食べるようになったのはずっと後のことだそうです。

海苔が広く食べられるようになったのには養殖の解禁に加え、

海苔のタネの作り方が変わったということも大きく影響しているそうです。

これは、昭和24年にイギリス人の海藻学者キャサリン・メアリー・ドリュー女史が、

海苔の生態を解明したことで、人工的にタネ付けをする人口採苗法が広まり、

兵庫、福岡、佐賀などの各地で海苔養殖が行われるようになりました。

それまでの日本では、海苔の生態についてほとんど分かっていなかったようで、

タネのつき方は自然まかせ、海苔は「運ぐさ」と呼ばれるほど、

年によって採れる量がまちまちだったようです。


『海苔の栄養』

海苔はビタミンやミネラルを豊富に含んでおり、意外にも大豆より多くタンパク質を含んでいます。

そのアミノ酸組成も大豆より優れていると言われており、

食生活に於いてタンパク質のバランスをとる上では非常に優秀な蛋白源と言えます。

また、海藻類には漢方的薬効もあるとされており、

その作用は体内水分をより速く代謝するというものです。

これにより体のむくみを解消する働きがあると言われています。


『味付け海苔』

1849年に初代・山本徳治郎が日本橋に構えた「山本海苔店」に、

1869年、明治天皇が京都へ行幸の際に御所への土産物上納の御下命があったそうです。

この時、初めて海苔に味をつけた「味付け海苔」を創案。

この新商品を契機に宮内省御用達となり、

さらにブリキ缶が容器として使われるようになると、

一般向けにも味付け海苔を販売し大ヒットしたそうです。

ちなみに、ごま油に海苔の香ばしさが後を引く韓国海苔は、

日韓併合期に関西地方の味付け海苔が韓国に伝わり、アレンジされたそうですよ。


『藻塩焼』

日本は海に囲まれ、古代より魚介類の恩恵を受けてきました。

古代の貝塚からは、はっきりと海藻を食べていたという痕跡は発見されていないようですが、

島根県の猪目洞窟からは、貝殻や魚の骨とともに、

アラメやホンダワラという海藻の一部が発見されています。

生命を維持するうえで欠かすことのできない塩分。

それらを摂取する最も簡単な方法が海藻食であることを考えると、

先史時代から日本人は色々な海藻を食べていた事が類推されます。

701年、飛鳥時代の終わりに制定された「大宝律令」には、

29種類の海産物が租税として記されています。

そのうちの8種類は海藻で、アマノリ、アラメ、テングサなどがあげられています。

それぞれの年貢は莫大な量で、納められた後に朝廷の文武官や神社・寺などに支給されました。

また、神社などの祭礼の供物にもコンブやワカメなどの名前が見られ、

こうした事から海藻が当時の人々の食料として用いられていた事が分かります。

「万葉集」には海藻を詠み込んだ歌が100首近くあるそうです。

なかでも海藻を焼いて塩をつくる「藻塩焼」という塩の製法に関わる歌が多く残されているそうです。

「藻塩焼」は、ホンダワラやアマモを浜辺に積み重ねて海水を繰り返し振りかけては乾かし、

それを焼いて塩灰を作り釜に入れて淡水を加え、

そのうわずみを煮詰めて塩を作るという興味深い塩の製造方法です。
by yataiti1gou | 2011-12-01 03:15 | な行
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