やたいち日記


食材日記です
by yataiti1gou
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聖護院かぶ

かぶは渡来して1000年以上と日本でも歴史のある野菜のひとつです。

昔は春の七草でお馴染みの”すずな”と呼ばれていました。

赤いのやらでかいのやら、かぶは日本各地に約80もの品種があるそうです。

その中から今日は『聖護院かぶ』をご紹介いたします。

聖護院かぶは、享保年間(1716年~36年)に、

京都市左京区聖護院の篤農家・伊勢屋利八が、近江かぶの種を持ち帰り、

京都の風土に合わせて品種改良した日本一大きなかぶです。

一見、似たように見える丸い大根 『聖護院大根』 がございますが、

食べれば一目瞭然、まるで別物です。

植物学的にもかぶと大根は全くの別種。

料理の用途も変わって参ります。

お買い求め際はお間違えのないように。

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京漬物の代表格、千枚漬の材料として需要の多い聖護院かぶ。

秋から冬にかけての気温の低下により、水分と甘みが一層増しおいしさが一段とさえて参ります。

このかぶは食物繊維が少なく肉質がとてもなめらかなのが特徴です。

特にビタミンCが豊富で消化酵素のアミラーゼも多く含んでいます。

酒飲みのお姉さまには打ってつけの野菜というわけです。

大根と違い軟らかい葉は、根よりも実はビタミンやミネラルが豊富です。

捨てる事無くお浸し、細かく刻んで菜飯などに活用しきっちりおいしくいただきましょう。

ちなみに、お漬物で有名なご存知の野沢菜。

こいつは実はかぶの葉っぱなんです。

これは『天王寺かぶ』というかぶが、

信州の気候風土により葉のほうが立派になってしまった変種なんです。


『京の伝統野菜とは』

京都に都が置かれていた明治維新以前から生産されていた歴史を有する野菜の品目で、

昭和62年の認定開始以来、現在まで41品目の野菜が京都府によって認定されています。

その中には、種の保存の為にのみ栽培されている野菜や既に絶滅してしまった野菜、

栽培されていないものの種が保存されている野菜なども含まれています。

さすが歴史のまち京都ですね。

野菜もちゃんと守られています。

今のご時世、商売商売でつまらないブランド野菜や、

クセがないだの甘いだの、

個性を出してえのか消してえのかわからねえ品種改良やハウスなんかのひ弱な野菜だらけ。

硬くたっていいじゃねえか。

噛みしめる喜びがあるんだから。

アクがあったっていいじゃねえか。

野菜だもの。

酒然り、歴史や伝統は受け継ぐ時代から守る時代になったのかもしれません。

もっと大地を噛みしめているような野趣あふれる野菜を食いたい。

そんな夢をかなえてくれるのが、この『京の伝統野菜』というわけです。
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by yataiti1gou | 2011-12-29 13:45 | し行

デキる男のマナー講座 『箸偏』

『箸の歴史』

日本に箸が入ってきたのは、弥生時代の末期といわれています。

その当時の箸は現在のように二本一組の箸ではなく、

細く削った一本の竹を熱で折り曲げ、ピンセットのように挟んで使う「折箸」だったそうです。

当時の箸は一般の人が使うものではなく、

神様が使う神器であり、天皇だけが使うことを許されたものでした。

箸が日本で初めて一般の食事に使われたのは7世紀の初め頃のようです。

初めて箸を食事に使わせたのは、皆様ご存じの聖徳太子。

聖徳太子は中国(随)に使節を送りました。

そこで王朝の人たちが箸を使って食事をしているのを見て大変驚いたそうです。

日本に戻った使節からこの報告を受けた聖徳太子は、

中国の使節を日本に招待する時のために、

大急ぎで箸を使った食事の作法を朝廷の人に習わせたといわれています。

ここから、日本で箸を使う風習が始まりました。

8世紀頃からは、箸食の文化は一般にも広がり、

「折箸」から「唐箸」と呼ばれる現在使われているような二本一組の箸になっていきました。

素材は竹が主に使われていたことから「箸」という字に「竹かんむり」がつかわれているようです。

その後、竹以外にもいろいろな材質が使われるようになり、

江戸時代に入ると漆塗りの技術を施した「塗箸」も生まれ、

様々な色や形の箸が作られるようになり、現在までにいろいろな箸が誕生したというわけです。

まあ昔々の話ですのでいろいろな説がございます。

その中の一説ということで。


『箸の種類』

日頃、たいして気にも留めない割箸ですが、一膳一膳に様々な用途や意味合いがあります。

お客様の口に直に触れるものですから、その時々の様子にあわせて選びたいものです。

おもてなしの表れでもある『御箸』 。

箸の意味合いを知ることで、おもてなしにもツヤが出て参ります。


利久箸
 
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この利久箸の考案者は「千利休」といわれています。
そのため「利久箸」と名付けられました。
しかし「利休」ではなく「利久」と書くのは、
商人たちが「利を休む」ことは縁起でもないと「利久箸」としたそうです。
千利休は茶懐石で客人をもてなすとき、
その日の朝、杉の木から一膳一膳小刀で自分で削ったといわれています。
まさにおもてなしの鏡ですね。
杉の香りまでも、もてなしに使うなんていかしてますね。
利休は杉の木を使いましたが、世間一般では両柳の素材が最高とされています。
春に芽吹く柳の木を使うのは、縁起が良く、祝い膳の節度を正す気持ちが込められているからです。
両方の端を細く削って左右対称の形を「両口」といいます。 
両口になっているのは、神様と人とが同じ箸を使い共に食すことで、
神の魂を呼び込もうとの願いからだそうです。
片方を神が使い、もう一方の端を人が使うというわけです。
よく料理を取り分けるとき、両口箸を逆にして反対側を使う人がいますが、これはNGですよ。


天削箸
 
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天削箸は頭部をヘラのようい斜めに削り、溝を付けず先端のみ面を取ったものです。
この箸の特徴である天を削いだ形は、神社の屋根にそびえる千木を形どっており、
利久箸と同じく、天の恵みを受けて神との共食を象徴しています。
利久箸と共にハレの箸の略式として用いられます。
小料理屋や料亭などで使われています。


元禄箸

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元禄箸は4つの角を削り、割れ目に溝を付けて割りやすく加工したものです。
正式には「元禄小判」と称して明治20年ごろ奈良県吉野郡下市にて考案されました。
この名称の由来は、元禄時代に江戸幕府が財政立て直しの窮余の一策として、
金の含有量を減らし貨幣を改悪した小判を「元禄小判」と呼びました。
これと同様に箸の4つ角をとり、溝をつけて木の分量を減らした事からこのように名付けられました。
立ち食いそばやらーめんやなどで使われています。


丁六箸
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丁六箸は箸全体に角があり質素なもの。
箸の長さは他のものに比べ短いため、使いずらいのが難点。
コンビニ弁当などに使われています。

 
『嫌い箸』

多くの人が会食をする場では、人々が忌み嫌う箸使いを「嫌い箸」と呼び、

昔からしてはいけない無作法な箸使いとされてきました。

それでは一挙に嫌い箸!


刺し箸…フォークのように食べ物を刺して食べる。

渡し箸…食後箸を椀の上に置く。

迷い箸…どれにしようかと箸を宙に迷わせる。

寄せ箸…箸を使って自分の手元に器を引き寄せる。

探り箸…箸で料理の中身を探る。

握り箸…箸を握って使う。見た目が悪いだけでなく昔は攻撃の意味にもなったようです。

ねぶり箸…箸を口の中に入れてなめる。

込み箸…箸で料理を口の中にいっぱいに詰め込んでほおばること。

逆さ箸…自分の箸を逆さにして使う。

差し箸…箸で料理や人を指指すこと。

そら箸…器まで箸を近づけておいて料理を取らないこと。

竹木箸…不ぞろいの箸で食べる。

こすり箸…割り箸を割ったときのささくれをこすって落とす。

たたき箸…箸で器をたたく。

立て箸…箸をご飯にさすようにしえて箸休めする。

ちぎり箸…箸を一本ずつ両手に持って料理をちぎる。

振り箸…箸の先についた汁などを振って落とす。

もぎ箸…箸の先にくっついたご飯粒を口でとる。

楊枝箸…箸を爪楊枝の代わりに使って歯をほじる。


意外とやっちゃてませんか。

やっぱりデートはカウンターに限りますね。

おねえちゃんは左。

ぼくは右。

これで手元は見えません。

それにしても今日は寒いですね。

あつあつのおでんあたたまってます!


カウンターの店  やたいち
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by yataiti1gou | 2011-12-16 16:54 | そのほか

山東菜 (さんとうな・さんとうさい)

毎年、東京市場では12月10日前後から10日間しかセリが行われない今や幻の山東菜。

その名の通り中国の山東省が原産で、白菜と同じアブラナ科の野菜です。

白菜のように丸く結球せず、葉先が菜っ葉のように開いたまま半結球で育つのが特徴です。

明治8年の東京博覧会で清国から山東ハクサイとして紹介され、

その後、日清・日露戦争で中国へ出征した人々が持ち帰った種がきっかけで、

全国的に栽培される様になったそうです。

しかし、大半が漬物に利用される山東菜は1株で6~8キロもあるため、

高齢化の進む山東菜の農家は次々と辞めてしまい、

現在ではそれに代わり1株2~3キロで流通や作業が楽な白菜が市場の主流となりました。

数少ない現在の主な産地は埼玉ですが、昔は東京やその周辺でも沢山栽培されていたようです。

荒川や江戸川においてその運搬を『べか舟』という1人乗りの小船によって行ったことから、

関東では『べか菜』ともよばれています。

通年栽培されていますが、若摘みの小型の物は春。

漬物用に大きくなってから収穫されるものは、

12月の漬け時に合わせて栽培されているので、12月が旬です。

山東菜は白菜に比べ、長期に漬け込んでも酸味があまり出ないのが特徴で、

昔はどこの家庭でも2樽、3樽と漬け込み春まで食べたそうですが、

食の多様化・料理の簡易化・外食化により、今ではほとんど忘れさられてしまいました。

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山東菜は普通の白菜よりカロチンの含有量が豊富であり、

ビタミンCやカルシウムも豊富で整腸作用があるほか、肩こりにも効くそうですよ。
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by yataiti1gou | 2011-12-06 17:18 | さ行

生海苔 『スサビノリ』

秋も深まり肌寒くなる今頃から春先にかけてが旬の海苔。

北海道から九州まで広く養殖されていますが、

主な産地は兵庫県の播磨灘、淡路島海域、佐賀は有明海です。

かつては江戸前(東京湾)が主産地でしたが、

現在では、埋め立てなどの理由によりそのほとんどがなくなってしまいました。

大半の産地では乾燥した板海苔に加工されますが、

宮城などのごく一部で、乾燥させてない一番づみの生の海苔が出荷されています。

この生海苔をちょいと箸にからませてするりとやれば、

そこに海があるかのように、磯の香りが口いっぱいに広がります。

冷酒でキリリとやるもよし。

お燗でちびちびやるもまたよし。

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『板海苔が出来るまで』

板海苔は、江戸時代の庶民に親しまれていた※浅草紙の製法にヒントを得て考案されたそうです。

※浅草紙とは、山谷辺りで多く製造されていた鼻紙や便所紙などに使われる下等な紙。

作り方は、紙を抄くのとほぼ同じ作りかたです。

先ずは摘み取った海苔を細かく刻みます。

つぎに、真水を張った抄き桶の中で溶いてから、

簾(海苔簾・のりす)に19cm×21cmの枠(海苔枠)をのせ、

その中に真水に溶かした海苔を流しいれ、天日で干して出来上がりです。

昔は厳寒期にすべて手作業ですし、

海苔簾(のりす)に均一に海苔を広げるのは熟練を要する職人技。

海苔作りはたいへんな重労働だったようですが、

今ではその製造工程のほとんどは、機械化されています。

江戸時代の当時は、江戸以外での海苔養殖が禁止されおり、

それが解禁になったのは意外にも明治時代になってからだそうです。

昭和20年ごろまでは、海苔を食べていたのは東京を中心とする関東地域に限られており、

関西をはじめ、各地方で海苔を食べるようになったのはずっと後のことだそうです。

海苔が広く食べられるようになったのには養殖の解禁に加え、

海苔のタネの作り方が変わったということも大きく影響しているそうです。

これは、昭和24年にイギリス人の海藻学者キャサリン・メアリー・ドリュー女史が、

海苔の生態を解明したことで、人工的にタネ付けをする人口採苗法が広まり、

兵庫、福岡、佐賀などの各地で海苔養殖が行われるようになりました。

それまでの日本では、海苔の生態についてほとんど分かっていなかったようで、

タネのつき方は自然まかせ、海苔は「運ぐさ」と呼ばれるほど、

年によって採れる量がまちまちだったようです。


『海苔の栄養』

海苔はビタミンやミネラルを豊富に含んでおり、意外にも大豆より多くタンパク質を含んでいます。

そのアミノ酸組成も大豆より優れていると言われており、

食生活に於いてタンパク質のバランスをとる上では非常に優秀な蛋白源と言えます。

また、海藻類には漢方的薬効もあるとされており、

その作用は体内水分をより速く代謝するというものです。

これにより体のむくみを解消する働きがあると言われています。


『味付け海苔』

1849年に初代・山本徳治郎が日本橋に構えた「山本海苔店」に、

1869年、明治天皇が京都へ行幸の際に御所への土産物上納の御下命があったそうです。

この時、初めて海苔に味をつけた「味付け海苔」を創案。

この新商品を契機に宮内省御用達となり、

さらにブリキ缶が容器として使われるようになると、

一般向けにも味付け海苔を販売し大ヒットしたそうです。

ちなみに、ごま油に海苔の香ばしさが後を引く韓国海苔は、

日韓併合期に関西地方の味付け海苔が韓国に伝わり、アレンジされたそうですよ。


『藻塩焼』

日本は海に囲まれ、古代より魚介類の恩恵を受けてきました。

古代の貝塚からは、はっきりと海藻を食べていたという痕跡は発見されていないようですが、

島根県の猪目洞窟からは、貝殻や魚の骨とともに、

アラメやホンダワラという海藻の一部が発見されています。

生命を維持するうえで欠かすことのできない塩分。

それらを摂取する最も簡単な方法が海藻食であることを考えると、

先史時代から日本人は色々な海藻を食べていた事が類推されます。

701年、飛鳥時代の終わりに制定された「大宝律令」には、

29種類の海産物が租税として記されています。

そのうちの8種類は海藻で、アマノリ、アラメ、テングサなどがあげられています。

それぞれの年貢は莫大な量で、納められた後に朝廷の文武官や神社・寺などに支給されました。

また、神社などの祭礼の供物にもコンブやワカメなどの名前が見られ、

こうした事から海藻が当時の人々の食料として用いられていた事が分かります。

「万葉集」には海藻を詠み込んだ歌が100首近くあるそうです。

なかでも海藻を焼いて塩をつくる「藻塩焼」という塩の製法に関わる歌が多く残されているそうです。

「藻塩焼」は、ホンダワラやアマモを浜辺に積み重ねて海水を繰り返し振りかけては乾かし、

それを焼いて塩灰を作り釜に入れて淡水を加え、

そのうわずみを煮詰めて塩を作るという興味深い塩の製造方法です。
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by yataiti1gou | 2011-12-01 03:15 | な行


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